「衛宮の・・・魔術刻印だって??」
切嗣の言葉に士郎は思わず鸚鵡返しに聞き返した。
「ああそうだよ」
「だけど・・・爺さん俺は養子だし・・・刻印を譲るなら俺じゃなくてイリヤじゃあ・・・」
その台詞に切嗣は納得顔で頷く。
「ああそうか・・・最初から説明しないといけなかったね。僕が言っているのがエミヤの魔術刻印だよ。衛宮家の魔術刻印じゃない」
そう言われてもそもそも魔術師の家系に詳しくも無い士郎にはちんぷんかんぷんな言葉、わかる筈もない。
「そうだね、じゃあ説明しないと・・・少し長い話になるけど聞いてくれ。エミヤの魔術使いについて・・・」
三十一『エミヤ』
それはもう昔・・・それこそ数多くの魔術が人々からは魔法と呼ばれ恐れ敬われていた時代に一人のある魔術師・・・もしかしたら当時は魔法使いと呼ばれていたかも知れない・・・がいた。
もう本名も忘れられた彼もまた魔道の深層を目指し、根源の到達を目標としてきた。
だだ、ある時を境に彼は根源の到達を止めた。
「やめた?それって魔術師を止めたって事なのか?」
「いや、違う。彼は更に先を目指すようになったんだ」
「更に・・・先??一体どう言う事なんだよ??」
「詳しい事は・・・もう誰にも判らない。余りにも永き時の流れの中で磨耗し風化してしまった。ただ彼が目指したものを指すと思われる言葉だけを残して・・・」
「言葉??」
「ああ・・・『統べる者』・・・その言葉しかもう残っていない」
そう言ってから切嗣は話を続けた。
『統べる者』を目指すようになってから彼は以前にもまして魔道の真髄を極めんと研究と鍛錬を積んできた。
それは彼は死ぬまで続いた。
当然だが、その意思は彼の魔術と刻印を受け継いだ息子にも当然の様に引き継がれ、彼も『統べる者』を目指す様になった。
不思議な事に、この同時期、世界各地でその『統べる者』を見た魔術師がそれになるべく彼と同じ道を歩み始めたんだ。
彼らは魔術の深層を目指しながらも根源には何の関心も示す事も無く、ただひたすらに『統べる者』を目標にして己鍛え遥か高き頂を目指し続けた。
だけど『統べる者』の高みは彼らの想像よりも遥かに高く険しく、そして厳しかった。
一人また一人とその険しさ故にその道を諦めていく中、諦める事の無い者達も当然だがいた。
その課程で彼らが自らの力を更に強く高めていくのは当然の事だった。
やがて彼らは魔術師からは呆れと憐憫、そして畏怖と憧憬、その相反する感情の全てを込めて『魔術使い』と呼ばれるようになった。
「今では魔術使いという呼称は魔術師見習い以下の魔術の心構えも出来ていないただ魔術が使えるだけの半端者に与えられる蔑称だけど、かつては違った。魔術使いを魔術師達はある種愚弄した、その反面、自分が諦めた更なる高みを目指す求道者として畏怖、その相反する感情の上で成り立っていたんだよ」
そうして決して届かない頂に手を伸ばそうとあがいていた魔術使い達だったがそれでも届く事はなかった。
そう・・・何世代掛かろうとも『統べる者』の影の先端にも触れる事は出来なかった。
やがて、やはり師の遺志を受け継ぎ『統べる者』を目指していた魔術使いはある時途方も無い・・・そう、魔術師の常識全てを破壊する結論に至った。
『現状の方法では気が遠くなるほどの時を重ねていけばやがては根源に到達は出来るだろう。しかし、我々が真に目指す『統べる者』の到達には根源の到達だけではとても及ばぬ。おそらく『統べる者』に辿り着くには人知を超えた天より与えられし才でなくては辿り着けぬ。血統に縛られていては何時まで経っても至る事は無い。ならば我らは今日より血を捨てる』
「血を・・・捨てる・・・それって魔術師としての血統を?」
士郎としては信じられない気持ちで切嗣の言葉を遮った。
魔術師にとって血統とはある意味命よりも大切なもの。
厳密な意味での魔術師でない士郎でも凜達と接して、その事は嫌と言うほど理解している。
それをいくら『統べる者』の到達の為とはいえたやすく捨てるとは・・・
「そう、彼らはその時より血統を捨て、その時代において先天的な特異才能を持つ者に己の夢を託す事にしたんだ。だけど・・・極端な行動に移った者はそう時間をかける事無く姿を消していった。考えて見れば当然の事だ。特異才能の持ち主なんて早々見つかる筈も無い。そうした失敗例をみた別の魔術使いは魔術師と魔術使い、双方の顔を持つ事にした」
「双方の・・・顔?」
その魔術使いが考え出した事は至って簡単な事だった。表向きは魔術師の家系として血統を残し、その裏では魔術使いとして特異能力の持ち主を探す。
そうすれば仮に自分の代で見つける事が出来なくても子孫が見つける事も出来るかもしれない。
そしてその特異能力者に魔術使いと魔術師、双方を受け継がせ、血統を残し、『統べる者』を目指してもらう。
だが、その為には絶対に不可欠なものが一つあった。
それは魔術刻印。
魔術師としての刻印は何の問題も無いが、魔術使いとしての刻印は従来の方法ではとても残す事は出来ない。
刻印は基本的に親から子、そして孫へとその一族だけにしか受け継ぐ事は出来ない。
血統を無視してその時の特異能力者に託す魔術使いには刻印を託すのはとても無理な話。
だけど、長い年月の中で、類似した属性の能力者も現れる可能性もある事を考えると後進の者の負担を軽減させる意味でも刻印は必要なのも確か。
それ故に彼は研究に研究を重ね、遂に彼ら独自の方法で・・・それは魔術師達から見ればまさしく禁忌と呼ぶに相応しい術で・・・魔術使いの魔術刻印を残す事に成功した。
「禁忌と呼ぶに相応しいって・・・どんな方法で」
「それがこの箱に入っているよ」
そう言って切嗣は士郎に件の箱を開ける様に無言で促す。
その要請に頷き士郎は箱を静かに開ける。
そこにはずいぶん古びた、そしてかなり着こなし、すっかりくたびれ果てた黒のロングコートが入っていた。
「これは・・・」
「僕が生前着ていたロングコート、今現在のエミヤの魔術刻印さ」
「このコートが?それってどう言う・・・ちょっと待ってくれ爺さん・・・まさかとは思うけどその方法って・・・」
切嗣の言葉に最初訳がわからないと言った士郎だったが、直ぐにある可能性に気付き、掠れた声で確認を取る。
それに切嗣は間違えようの無い言葉で士郎の予測を肯定した。
「そう、人体ではなく物に刻印を移植する事さ」
当然だが、それには膨大な時間と、数え切れないほどの困難、そして失敗が立ちはだかった。
だけど彼は自身が死ぬ直前に遂に魔術刻印を物に移植する方法を確立した。
これによって魔術使いが『統べる者』を目指すべく築き上げられた魔術使いとしての知識は残され、また彼らも刻印の保持更に自分の魔術を家系と魔術使い、双方の刻印に残し続ける事が出来るようになった。
しかし、この魔術刻印は他の魔術使いに広がる事は無く、彼が考案したこの方法はその魔術使いの一派にのみに伝わる秘中の秘となった。
独占云々ではなくもっと深刻な問題ゆえにだった。
この魔術刻印の存在が万が一にも魔術師達に知れれば彼らはそれを断固として認めず、必ず刻印を破壊させるだろう。
何しろ自分達の存在意義の全てを破壊させかねない深刻かつ極めて危険な物だ。
地の果てまでも追いかけ、根絶やしにするだろう。
その事を危惧した魔術使いは魔術刻印の使用に厳格な制限を設けた。
まず、この刻印を使用できるのは刻印に血を捧げた魔術使いもしくは刻印を保持する魔術師のみ。
そしてこれを伝えられるのは刻印を受け継げる魔術使いか刻印を後世に残す役割を担う自分の後継者のみ。
そして受け継がせるべき魔術使いを見出した時自身を含めて一族の記録、記憶から全て抹消する。
当然だが、この刻印の使用は極力行わない。
そして受け継いだ者は以上の掟と共に必ず刻印を必ず後世に残さなければならない。
以上の掟を魔術師としての刻印の暗示として刻みつけ、今日まで秘匿を続けてきた。
「そして、この刻印はこの方法を確立した魔術使いの名前から最初『エーリャの魔術刻印』と呼ばれ、それが少しずつ発音が変化していき最終的には『エミヤの魔術刻印』と呼ばれ、この刻印の保有者は『エミヤの魔術使い』と呼ばれるようになった。更に『エミヤの魔術刻印』を受け継いだ魔術使いはそのエミヤの姓をも受け継いだ」
「・・・エミヤの魔術刻印・・・」
「そう、そして、現在において魔術使いは既に『エミヤの魔術使い』以外は全員いない」
「いない?それは全員諦めたから?」
「違う、軒並みは戦死してしまったんだよ。死徒二十七祖第二位『六王権』との戦いで」
「!!それってかつて『六王権』が人類を滅ぼそうとした時」
「そう今『六王権』の軍勢が世界を蹂躙しようとしているのと同じ事が起こった時さ・・・そこで彼ら魔術使いは勇敢に戦いそして死んでいった。その時にほとんどの魔術使いの血統は途絶え、それと同時に、刻印までも失われてしまった。また生き残った少数の魔術使いも道のりの困難ゆえに魔術使いとしての道を捨て一人また一人『統べる者』を諦め、最終的には『エミヤの魔術使い』以外は誰一人いなくなってしまった」
そこで一旦言葉を区切り切嗣は苦笑する。
「まあ、こう言っている僕の家も曾爺さんの代で『統べる者』は諦めかけて、刻印だけ子孫に残してきたんだけどね」
そう言って切嗣は薄く笑った。
「爺さん、『エミヤの魔術使い』の事はわかっただけど、まだ・・・」
「判っているよ。何故士郎にリミッターを付けたかだろ?」
「ああ、何で・・・」
「その理由は十一年前、僕が起こしてしまった新都の大火災にある」
十一年前・・・
アルトリアに聖杯の破壊を命じ、それにより『この世全ての悪(アンリ・マユ)』降臨を阻止した切嗣だったが、その代償は余りにも大きく新都は地獄の業火に晒されていた。
そんな煉獄ともいえる世界を切嗣はさまよい歩いていた。
生存者を求め、ひたすら探し歩く姿はまさしく亡者を思わせた。
生存者を見つけ出し必ず助ける、自分の理想も家族も何もかも裏切り失った切嗣にとってそれは最後の拠り所だった。
だが、行けども行けども切嗣を待つのは炭と化した元人間や、既に息絶えた人のみ。
もうこの世界に切嗣以外誰もいないのではと思いたくなる位一人も生きた人間に会う事はなかった。
それでも切嗣は歩き続ける。
そして・・・ある一角に到着しそこにも生存者は誰もいないとわかるや、また別の一角に向おうとした時だった。
「!!」
一瞬、そう、それこそほんの刹那だったが、確かに切嗣は感じ取った。
今まで英霊達が見せた宝具、それに匹敵するほどの魔力の波動を。
それも直ぐ近くで。
慌てて駆け出す切嗣、そして それを見た時切嗣は思わず眼を疑い、息を呑んだ。
その一角だけ炎も瓦礫も無く小規模なクレーターが出来ていた。
そしてその中心部に一本の剣らしき物を握り締めた少年が倒れている。
眼を凝らして確認しようとした切嗣だったがそれもかなわぬ事だった。
既にその剣は跡形も無く消滅してしまった。
「まさか・・・魔力で創り上げたと言うのか?この子が?」
知らず知らずの内に言葉を発しながら、切嗣はその少年に近づく。
全身、ひどい火傷に覆われ、息も絶え絶えだったがそれでも生きていた。
「良かった・・・生きている・・・生きていてくれた」
震える声で呟き、切嗣は自身の体内からアルトリア召還に使った鞘を引き出そうとする。
その時、
「何を・・・する気だい?」
この地獄にあって信じがたいほど穏やかな声が真後ろから響く。
少年を抱えたまま振り返るとそこに、陽炎越しに人影らしきものが見える。
眼をどれだけ凝らしても実体はまるで見えない。
「何を・・・する気だい?」
再び人影から同じ質問が発せられる。
「何をするって・・決まっている!この子を助けるんだ!」
切嗣の言葉に対して人影はしばし沈黙を守りそれから
「・・・止めた方がいい」
思わぬ事を口にした。
それを聞いた切嗣は咄嗟に既に装填を終えていたコンテンダーを引き抜き、発砲した。
人影は避ける気配も見せず、弾丸は人影のど真ん中に命中したかに見えた。
しかし、その後方で何かが砕ける音が響く。
信じがたい事だが、弾丸は人影をすり抜け後ろのコンクリートに命中したとしか思えない。
「止めた方がいい・・・その子はここで死なせた方がいい・・・」
「何だと!!」
空虚だった切嗣の体内に憤怒が注ぎ込まれる。
「助けられるのに・・・助けるなと言うのか!!」
「・・・その子の異端、一端だけだとしても・・・君も見たはずだ」
「!!」
人影の冷静な声に、切嗣の憤怒も一時冷まされる。
「今の・・・この子では成長したとしても・・・異端を制御する事は出来ない・・・それが何を意味するかわかるだろう・・・」
「・・・・・・」
切嗣には容易にわかった。
生き延びても異端を制御できなければやがて協会に目を付けられ、その果ては実験材料か標本にされるだけだろう。
たとえ万が一にも生きられたとしても、平穏な人生など送れる事は決してない。
「だから・・・この子はここで死なせた方がいい・・・それがせめてもの情けだ・・・」
「・・・いやだ・・・」
人影の諭すような声に切嗣は感情で応じた。
「もう・・・僕には何も残されていない・・・自分の理想を見捨て、妻を裏切り、何も手に入れる事も出来なかった・・・だけど!!この子だけは助ける!!偽善と言われようが独り善がりと罵られようが知った事か!!助ける!!助けるんだ!!!」
感情の叫びに人影はしばし沈黙を守る。
やがて発せられた言葉は
「では・・・封じなければならない・・・この子の異端を・・・」
その言葉に切嗣は一つ頷く。
「判っている・・・封印をかける。この子の異端を・・・幸い僕の家系にはそれが出来る術がある」
自分を親代わりになって育て鍛え上げてくれた師にも、自分を愛し常に慈しんでくれた妻にも、誰にも見せた事のないエミヤの秘奥が。
「刻印起動(タイム・スタート)、封印領域(ゾーン・マインド)」
二度と発する事もないだろうと思っていた詠唱を唱える。
「我が築き戒めと制御、ここに汝を戒める(リミット・セット)」
同時に少年に封印が施された。
「これで・・・いいだろう!」
そう叫び振り返るがその時、人影は消えていた。
そして今気付いた。
陽炎など何処にも発生していなかった事に・・・
「その後は士郎、君に鞘を埋め込む事で君を助け、そして君を養子に迎えた。本来だったら君には魔術は教えないつもりだった。魔術等知らず、平穏な一生を送って欲しかった。だけど・・・結局は君の頑固さに折れて教える形になってしまったけどね。それでも、魔術については必要最小限の事しか教えなかった。だけど・・・」
そこで言葉を区切った切嗣は苦々しく笑う。
「正直君の異端を舐め過ぎていた。まさかあれだけの短期間、そして僅かな教えだけで形になりつつあったなんて思わなかった。これで君の異端を伸ばそうと思う師が付けば何処まで伸びるか僕にも想像できなかった。ましてや、しっかりとした魔術回路の形成を教えなかったばかりに君の回路が飛躍的に魔力量を増やすなんて想像すらしなかったよ。だから僕は念の為に保険をかけておいた」
「保険??」
「ああ、もしも僕が施したリミットの制限を越えた時、僕は一時的に蘇り君の封印を解くようにした」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!!」
ただならぬ言葉に思わず士郎は口を挟む。
「よ、蘇るってそれって蘇生って事か!!それじゃあまるで魔法・・・」
士郎の疑念を切嗣はただ一言で否定する。
「いや、蘇生じゃない。僕はあくまでも死んだままだ。今の僕は生前の思念、エミヤの魔術を持って思念を人形に込めたんだよ。エミヤの魔術刻印の一部も込めてね」
「そ、そんな事まで」
「ああ、出来る。まあ人形は封印指定クラスの人形師に作ってもらった。その上で家の軒下に封印して置いたんだけど。エミヤの先人達は僕達の想像を超えるほど多岐に渡る、そして驚異的な能力の魔術使い達を数多く排出していたんだ。勿論投影使いもいる。最も、君みたいな反則級の魔術使いじゃなかったけど・・・さてとこれで話は終わりだ。士郎、君に最後の質問をする」
「・・・」
「士郎、エミヤの魔術刻印、受け継ぐかい?」
「・・・」
「勿論強要はしない。受け継ぎたくなければそれでも良い。最後の魔術使いの一派がこの地で終わりを告げるだけだから」
「・・・爺さん」
「なんだい?」
「・・・仮にその刻印を受け継いだとして・・・俺なんかが名乗っても良いのかな?俺は『統べる者』になんか何の興味もない。ただ俺の夢と理想の為に歩き続ける。そんな俺が・・・」
「良いんだと思うよ。僕も、エミヤの数多くの先人達も違いはあるかも知れないけど、届く事の無い余りにも高すぎる理想と夢を追いかけていった。そして士郎、君も遥か高き夢を追いかけてここまで歩いてきた。君にも資格はある。それに・・・今の時代に強大な力は秘匿されるべきではない。使われるべきなんだ。力を持たぬ者を守るささやかな盾となる為に」
「・・・爺さん、受け継ぐよ。今の俺じゃあ力不足、役者不足だけど、受け継ぐよ『エミヤの魔術刻印』を」
「そうか・・・ありがとう・・・そして済まない・・・じゃあ士郎、血を一滴、刻印に捧げてくれ」
切嗣に促されるまま、士郎は投影したナイフで薬指を軽く切り、にじみ出る血を一滴、コートに落とす。
「・・・・・・継承なれり」
切嗣が唱えた詠唱と同時にコートにびっしりと刻印の模様が浮かび上がりそして消えていった。
「士郎・・・これでこの刻印は君の物だ。着てみてくれ」
「ああ」
切嗣のコートを士郎は袖を通す。
そのコートは士郎の今の背格好に合わせて創られたかのように、ぴったりの寸法だった。
すると、コートを着終わった士郎の身体に直ぐに異変が起こる。
「!!!」
突然眩暈とだるさ、そして嘔吐感が襲い掛かり、微熱すら発し始める。
「うっ・・・ううううう・・・うげえ!!」
耐え切れず地下室の片隅で激しく嘔吐する。
「はあ・・・はあ・・・はあ・・・」
全身の震えも止まらず、身体のだるさも取れない。
「士郎・・・眠っていていいよ。眼を覚ませば刻印も君の身体に馴染む筈だから」
そんな切嗣の声を聞きながら士郎は意識を失った。
「う・・・あ、あれ??」
士郎が眼を覚ました時、まず気付いたのは鼻をつくような臭い。
やがてそれが自分が嘔吐した吐瀉物の臭いである事を思い出すと意識が急速に覚醒する。
「士郎、眼を覚ましたかい?」
「爺さん・・・俺どれ位眠っていたんだ?」
「そうだね・・・ざっと五日前後かな?」
「!!そ、そんなに?」
慌てて立ち上がろうとするが、そんな長時間何も口にしていない為と、寝起きという事もあって直ぐに体勢を崩す。
「士郎無茶はいけないよ。ほら少し食べて」
そう言って差し出すのはファーストフードの代名詞であるハンバーガー。
「あ、ああ・・・」
やはり空腹だったのか素直に受け取り、貪る様に平らげる。
「士郎、水」
「ああ・・・ふう・・・爺さん、これどうしたんだ?」
差し出された水を飲み干してから根本的な事を切嗣にたずねる。
「ああ、新都の公園にゲートでつなげてそこの近くのファーストフード店で買ったんだよ」
「というか・・・金は??」
「そこは企業秘密」
「・・・」
溜息一つで士郎は追及を止めた。
おそらく切嗣は金の出所等言わないだろう。
だから無駄だと悟ったのだ。
「さてと・・・魔術も使えるから、爺さん俺皆の所に戻らないと・・・」
空腹を収まり、投影、強化も使える以上は一刻も早く皆の所に戻ろうと、腰を浮かせるがそれを切嗣が制する。
「士郎、気持ちはわかるけど刻印をまともに使えるのかい」
切嗣に言われて士郎は反論出来ない。
「その刻印の力は士郎の役にきっと立つ。刻印の起動を覚えてから戦線に復帰しても決して遅くは無いと思うよ」
「・・・だけど・・・」
それでも渋る士郎に切嗣は諭すように言葉を繋げる。
「それに良く言うだろ?急いては事を仕損じるって」
「・・・少し・・・焦っていたのかもな・・・判った」
それから更に十日程・・・
「よし・・・士郎だいぶ刻印を動かせられるみたいだね」
「ああ・・・」
衛宮の屋敷跡で士郎は切嗣の手で教えを受けて刻印の起動を使いこなせられるようになっていた。
本来ならば衛宮邸で行うのが一番いいと思われたのだが切嗣が止めたのだ。
曰く『この訓練を行えばおそらく周囲に知れるだろう。無音の結界を施しても限界がある。その点ここなら人里からもだいぶ離れているから大きな物音を出しても怪しまれる事はない。それに食料調達で冬木に戻るのにも刻印起動の訓練になる』
その時はそれも最もだと思い、冬木に戻る事無くこの場所で訓練を続ける事になった。
だが、それによって志貴達に無用の心配と無駄足の捜索を行わせてしまったと言う事を知るのは後の事となる。
刻印を使えると言ったが、使う事が出来るようになったのは時間制御の魔術を含めて四つだけだが、十日という短さを考えれば優秀だし、投影や強化に特化した士郎にとってはこれでも十分な戦力の強化だった。
更に付け加えれば切嗣は士郎にどう言う訳かコンテンダーの使い方も教え込み、切嗣程熟練した動きには当然だがなれる筈も無いが、それでもだいぶ様になった。
「だけど、『エミヤの魔術刻印』こいつはあくまでも補助として考えるべきだな。やっぱり他人の魔術刻印を使うせいだろうな。通常より魔力消費量が多い」
「そうだね。それとやはり物に移植した分、魔術を引き出すのにも魔力が必要なんだろうね。まあ先人達はそもそも人前で使う事を想定すらしていなかった筈だから、魔力消費の効率化なんて考えもしなかったんだと思うよ。それと士郎、固有時制御は多発しない事、そして不必要に倍速をあげない事、こいつは自分の身体を傷付ける正真正銘の諸刃の剣だから」
「ああ判った」
「うん、じゃあ・・・最後にこれを士郎」
そう言って切嗣は紫壇のケースを手渡す。
「これって・・・爺さん」
「これも君に託す。君なら僕よりももっと上手に人を助ける為に使ってくれると思うから、その為に今日まで使い方を教えたんだから」
そこには切嗣の最強の牙にして切嗣の唯一の礼装、コンテンダーが魔弾と共に眠っている。
「この十日の間に最低限の手入れ調整はしておいた」
切嗣の言葉を聴きながら士郎は神妙な面持ちでケースの留め金をはずし、蓋を開ける。
そこには半月ほど前に衛宮邸での決闘で切嗣が握っていた拳銃とあの魔弾が眠っていた。
「弾丸は僕が死ぬ前にあえて増産した。虫の知らせって奴なのかも知れないけど、全部で六十発ある。それと通常の弾丸は訓練の使用で全部使ってしまったから、どうにか調達しておいてくれ」
「一発で魔術師を魔術師として完全に殺す事の出来る弾丸か・・・対魔術師宝具と呼ぶに相応しいよなこれは・・・ありがとう爺さん、これも大切に使うよ。それと普通の弾丸も何とか融通はつけてみる」
「君が思うがままに使ってくれれば良い。君には刻印を継承した。それは全て君の物なんだから・・・さてとこれで僕の役割は終わりだね」
「終わりって・・・爺さん!」
切嗣の身体・・・いや、一時だけ切嗣の身体となっていた人形が朽ち果て崩れ始める。
「何しろ僕が死んでから一度も調整しなかった人形が今日まで動いてくれたのは本当に幸運だったよ」
その言葉聞き士郎は悟った、切嗣は移動しなかったのではない。
もう移動できなかったと言う事に
「そ、そんな!!爺さん!せっかくイリヤにも会わせようと思ったのに・・・」
「士郎・・・イリヤには・・・ずっと愛しているって伝えてくれないかな」
「そんなの・・・爺さんが伝えろよ!」
「それが出来れば一番良いけど・・・もう無理みたいだ・・・」
そう言っている間にも切嗣の身体だった人形はぼろぼろに壊れていく。
「士郎・・・」
「爺さん!!」
崩れ行く身体を強引に動かし、切嗣は士郎を強く抱きしめる。
「士郎・・・信じるんだ自分の可能性を・・・君にはおそらく天より与えられた才がある。君にしか持てない才が・・・それを信じ抜くんだ。君が僕の出来損ないの夢を信じ続けてくれた様に・・・」
「爺さん・・・親父・・・」
「士郎・・・じゃあ、今度こそ本当にさようならだ・・・僕の・・・息子・・・」
その言葉を最後に切嗣は・・・いや、切嗣の身体を真似た人形は機能を完全に停止した。
「あ・・・・・ああああ・・・あああああああ!!!親父ぃ!!」
壊れた人形を抱きしめて士郎はただ慟哭した。
それから数十分後・・・
「爺さん・・・正直言えば俺にあんたが言ったような才があるとは思えない。俺はただ強化と剣の投影が出来るだけの中途半端な魔術使いだ」
切嗣の人形を埋めた簡素な墓の前で士郎はただ静かに独白していた。
「俺に『エミヤの魔術使い』なんて称号相応しいとは思えない・・・だけど、爺さんが・・・数多くの先人達が俺を信じてくれるなら・・・俺は進もうと思う。先人達が引き継いでくれたこの刻印と共に・・・爺さんが託してくれたこいつと一緒に」
手に持ったコンテンダーをコートの内側に添えつけられたホルスターに収納してから静かに立ち上がる。
既に魔弾はコンテンダーに装填済みであるし、コートのホルスターに残りの弾丸を差し込んでいる。
「・・・行くか・・・ロンドンに」
グローブを脱ぎ、コートのポケットにしまい込むと静かに空間に手を当てる。
「刻印起動(キーセット)空間領域(ゾーン・スペース)」
コートに刻み付けられた魔術刻印が光る。
「我が手に触れし空間は門となり、我望む場所に導く(ゲート・スペース)」
同時に空間にひびが入りこの地とロンドン、二つの空間が一つに繋がった証である扉が生み落とされる。
それを押し開ける。
そして開けられた先の光景を目の当たりにした士郎は思わず自分の眼を疑い、
だがそれを
「・・・ふう・・・」
溜息一つ吐く事で受け入れて、ロンドンの地に足を踏み入れた。
全ては偶然だった。
士郎が転移としてその場所を選んだのも、時間も『影』がアルトリア達を処刑する寸前だった事も。
何もかもが偶然の産物だった。
だが、ここまで偶然が重なればそれはもはや必然となる。
全てはまさしく天の采配によって仕組まれたかのようだった。
この地、ロンドンにおいて『剣の王』、衛宮士郎と『影の王』、『影』の決闘が始まる事は全て決められた事だったかのように・・・